今回はいつもと少し趣向を変えて、私の闘病体験についてお話ししようと思います。普段このブログはテックブログとして運営している(そのつもりで)のですが、今回は17歳の時に骨髄移植をした話をしようと思います。ただし、骨髄移植をして8年経つため記憶があいまいであったり、抜けてるところもあるのでご了承ください。
骨髄移植をすることになったきっかけ
17歳で骨髄移植をするのですが、病気はさかのぼること11年前、6歳の時に地域の総合病院で発覚しました。当時喘息とアレルギーで定期的に通院しており、その際に血液検査をしたところ血小板と白血球が異常な値を示しました。(当時の検査用紙は残っていないのですが)
すぐに大学病院に行くように言われ、この時から19年間にわたる闘病生活が始まりました。
再生不良性貧血と診断される
大学病院ですぐに骨髄検査を行い、当時診断された病名は再生不良性貧血でした。治療は主にステロイドの投薬治療でした。数値が悪くなるとステロイドを増量するために1週間ほど入院し、数値が安定したら退院する、ということを繰り返していました。しかし、当時は再生不良性貧血と断定できたわけではなく、担当の医師も根本の原因が分からず対症療法のみでした。
入退院を繰り返した学生生活
ここで学校のお話を少々。
当時入退院を繰り返していたため、他の同級生と同じように学校に通うことができず、さらに今ほど院内学級が整っていない環境の中で退院後学校に戻ると授業が進んでおり、授業内容が分からない私はほぼ浦島太郎状態になっていました(笑)。こんな浦島太郎を小中9年間繰り返していたのは今となっては笑い話です(笑)。
高校入学後の体調悪化
ステロイドによる対症療法と浦島太郎を9年間繰り返し、高校に入学した時から少しずつ体調が悪化していきました。顕著に悪化したのが消化器官(特に腸)でした。血便と下痢を繰り返し、当時は過敏性腸症候群と診断されました。免疫抑制剤を用いた治療が始まったのもこの時です。しかし、効果はほとんどなく日に日に悪化していきました。
IPEX症候群の発覚
高校1年の秋に、ついに根本の病気が発覚しました。今でも当時の診察室での情景を鮮明に覚えています。先生が開いていたパソコンの画面に「診断結果はIPEX症候群です。」と書かれていました。
聞いたこともない病名にまずは何て読むのか分からず思考が停止しました。
今もIPEX症候群について完全に理解はしていないので、もし気になる方は下記のWebサイトを参考にしてください。
骨髄移植が決定
高校1年生の冬にドナーが決定し高校2年17歳の夏に移植が決まりました。高校2年の5月には学校に通うこともできないほど体調も悪化して、入院生活が始まりました。
1型糖尿病の発症
少しずつ骨髄移植に向けた治療が始まりました。また、このタイミングでIPEX症候群の症状の一つでもある1型糖尿病も発症しました。
1型糖尿病の怖いところは血糖コントロールが難しく低血糖になってしまうことなんですよね。低血糖は最悪意識障害を引き起こすほど怖く、私自身血糖値が上がらず救急車で運ばれたこともあります。
骨髄移植の準備
話を骨髄移植に戻すと、骨髄移植をするためにCV(中心静脈カテーテル)を挿入したり、歯医者さんにかかり衛生指導なども受けたりしました。
その後無菌室と言われる綺麗な部屋に入り前処置と言われる、骨髄移植を行うために抗がん剤と放射線治療で自分の骨髄を破壊する処置を行いました。この前処置がとてもつらいと言われていたのですが、私は抗がん剤の副作用も強く出ることもなくあまり辛い思いはしませんでした。(副作用は人それぞれなので決して辛くないことはないです!)
夏の思い出
無菌室の思い出がテレビで見た墨田の花火大会です。一歩も部屋の外から出ることが許されない中で、噛り付きながらテレビ越しの墨田の花火を見た思い出は何故か今も鮮明に残っている記憶です。(笑)
移植と生着
7月20日に移植
移植というと手術をイメージする方が多いと思うのですが、骨髄移植はCV(中心静脈カテーテル)から点滴で入れていくのです。
8月9日に生着
生着とは体に入れたドナーの骨髄が血液を作り始めることです!移植の達成すべき一つの目標です。

ここまでは、順調に移植が進んでいきすぐに退院できると考えていましたが、本当の地獄はここから。
最期に入院中によく聞いていたGReeeeNの曲
続きは後編で
※この記事は個人の闘病体験を記録したものです。医療行為についての判断は必ず医師にご相談ください。



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